8years (4) とある大学の研究室。 そこに黒の組織から来た女──灰原哀こと宮野志保はいた。 彼女は、今は知識を生かし、医療関係の研究をしていた。その研究室の中に誰の目に触れる事無く封印されたフロッピーがあった。パスワードは『Shellingford』・・・ (所詮…人は時の流れに逆らってはいけない。逆らって幸せになれた人なんて一人もいなかったわ。彼のように・・・) そう、これには神秘の毒薬APTX4869の全てが記されていた。 (私はこの薬を封印する義務があるわ。もう二度と人を苦しませたくはないから・・・) 目に浮かぶのは彼と、彼の事を想うあの人。 (私の所為だものね) 二人の時間を沢山奪った。その償いの為にももうこの薬は誰にも見られる訳にはいかない。だから彼への想いと共にこの薬を永遠に封印した。 (もう、蘭さんとだって普通に会話出来る。別に彼女から工藤くんを奪おうとした訳じゃないわ。私には無いものを持っている人だから、向き合えなかっただけ・・・) 自分の所為で殺された姉に、心の中で詫びた。姉に似た蘭が幸せになる事を、志保は願っている。彼女は新しく前へ進もうとしていた。 志保は久しぶりに米花町をのんびり歩いていた。特に理由も無く街を歩くのが彼女は好きだ。後ろで自分を呼ぶ声に、びくりと反応する。 「よう、宮野」 彼だ。 「工藤君、久しぶりね。蘭さん元気?」 「そこの店にいるぜ」 新一が視線を向けた先には、買物を終え二人の元に小走りでやって来る彼の妻がいた。 「あ、志保さん!久しぶりです」 「ええ、どう?喧嘩してない?」 「しょっちゅう、ですね」 蘭は苦笑した。軽い言い合いなどいつもの事だ。むしろ二人にとってはコミュニケーション手段である。 「そうだ志保さん、私達これからお昼食べるんだけど、志保さんもどう?」 蘭の無邪気な笑顔は昔と変わらない。姉の、自分に対する態度を思い出し志保は優しい気持ちになる。 「・・・やめとくわ、邪魔しちゃ悪いもの。夫婦で過ごして」 「そう、じゃあ又今度行きましょう」 志保は彼女の笑顔が大好きだ。 「ええ。じゃあ私はこれで」 去ろうと踵を返した志保だったが、思い出したように振り向いて、新一を呼び止めた。 「そうだ工藤君、身体、なんともないかしら?」 新一と志保は長い間身体が縮んでいた反動と、解毒剤の副作用が残ってしまっていた。元に戻っても軽い動悸や眩暈等を起こすことがしばしばあった。 「大丈夫、ここ五年位なんともねーな」 さらりと言った。尤も症状があったとしても、彼なら蘭の前で本当の事を言うかどうか、志保には解らなかったが。 「・・・ならいいのよ」 「嘘じゃねーぞ?」 志保の様子を嗅ぎ取ったのか、新一が念を押す。 「解ったわ」 志保も、それ以上追及する気は無い。新一が無事ならそれでいい。 「またね、志保さん」 「ええ、今度遊びに行くわね。女同士語り合いましょう」 「本当?楽しみ!」 「何だよ、俺はハブかよ!」 蘭と志保は互いに笑いあい、新一は少し不機嫌そうだった。志保はそのまま二人と別れた。 その時、歩美は志保を目撃していた。道の向こうを歩く女性。顔は見えない。でも、あの髪型も、髪の色も、遠くからも感じ取れる大人びた雰囲気も、それは歩美の知る灰原哀そのもの。 「哀ちゃん?哀ちゃん!!」 大声で叫ぶ。志保は一瞬振り向きそうになった。 (まさかね、もう私の事をあの名で呼ぶ人なんていないわ) あれから志保は少年探偵団に会っていない。明らかに同一人物としか思えない顔を見られない為に。そうして何となく視線を感じて小道に曲がる。 「どうしたんですか?」 目の前の本屋から元太と光彦が出てきた。光彦は参考書を、元太は雑誌をそれぞれ抱えている。 「哀ちゃんがいたの」 歩美が口を開くや否や、光彦は辺りを見回す。 「灰原さん・・・!灰原さん!」 その声は街の騒音に掻き消され、誰の耳にも入る事は無い。 「本当にいたのか?」 「うん。あれは哀ちゃんだった」 「外国いるんだろ?」 元太が、念を押すように聞き返す。 「哀ちゃんだった・・・!!!」 歩美は声を張り上げた。 「ご両親の仕事で外国に行くと言っていましたから、転勤で日本に帰って来る事もあるでしょうね」 三人の間の空気が変わる。 「あら、歩美ちゃん。元太君。光彦君」 少し離れた所からふいに話しかけられ、思わず振り返えった。緊張の糸が切れた。 「蘭お姉さん。・・・新一さんも」 近付いてくる工藤夫妻を見て、初めに思い浮かぶのは、コナンの事だ。 (蘭お姉さんも・・・新一さんが事件で会えなかった時、こんな気持ちだったのかな) 一年。蘭は姿を消した幼馴染を待ち続けていた。それを思い出すと、歩美は首を横に振って思い直した。 (ううん・・・私と蘭お姉さんとは全然違う。新一さんは蘭お姉さんの事を想い続けてたけど、私はコナン君に振られちゃったもん) 「こんにちは」 精一杯の笑顔を浮かべて、やっと歩美の口から零れた一言。視線を移すと、二人の手が指を絡め合って繋がれているのが見えた。 「相変わらず仲がいいですね」 「えっ・・・」二人は慌てて手を引っ込める。 もう新婚でもないだろうに、この二人はいつまでも初々しい。 「おめーら大分背伸びたな、これじゃ抜かされちまうな・・・」 新一は照れながら話題を変えようと、しみじみと言った。新一はそれほど長身ではない。コナンであった時も、元太と光彦を見上げていた。だんだん自分に追い付いてくる二人を見て少し昔を思い出した。二人は今でも少年探偵団と交流している。家に遊びにくることも少なくはない。でもここ最近はあまり会っていなかった。 「歩美ちゃん達、進路は決めた?」 三人の顔を覗き込むように、蘭が問いかけた。 「はい、私は帝丹高校に行きます」 「本当?嬉しいわね、新一」 「ああ。おめーらは?」 「僕は大学付属の私立に行こうか帝丹に行こうか迷ってるんです」 「俺は酒屋継ぐから米花商業」 皆、夢があるようだ。 「頑張ってね。応援してるわ」 「落ちるんじゃねーぞ!」 二人は再び歩きだし、歩美は手を振って見送る。 (幸せそうな蘭お姉さん、いいなあ。私は?私は吹っ切るつもりで、ケジメをつけるつもりであの時告白したのに、何も変わってない。コナン君は私以外の人が好きなんだよ?告白する前から知ってたのに。なんで忘れられないの?) 蘭の、後姿を見つめた。多分、泣きそうな表情で。 (振られるつもりで告白したのに。何も言わずに終わりたくないからって。なのに・・・) 蘭の後姿から、目が離せなかった。ずっと、視線を逸らせなかった。 歩美の心の一番大切な部分は8年前から立ちつくしたまま、動けない── next |
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